さよーならまたいつか!米津玄師の果てることのないカリスマ性に脱帽

音楽・歌詞

米津玄師の存在…カリスマ性とはこういうことだ

カリスマ…今この言葉使うんですかねー?20代以下の若者は知っているのか… 

1990年代〜2000年くらいにかけて空前の美容師ブームが起こりそこでよく使われていましたね「カリスマ美容師」という言葉 懐かし〜

私はちょうど多感な10代後半でしたので青春時代を思い出すね、そんなアラフォーおばさん筆者です

カリスマ=超人的・教祖的…そのくらいとんでもなく人を惹きつける魅力をもつ人物などに使われる表現ですが、まさに今現在の世の中でこの言葉がぴったりな人物…

そのうちのひとりが米津玄師だと思うんです

ちょっとみんな想像してみて

「さよーならまたいつか!」の歌詞に“100年後の〜”みたいなの出てくるでしょ?

いくつかパターンはあるけどまあだいたい“100年後に会いましょー知らんけどまたね”

みたいな内容よね

あの言葉、一般的な人が発言したらどうですか?

私は去り際の酔っ払いのひとことにしか聞こえないと思うんですよ!!

「ヒック…ではみなさん…!100年後に会いましょー(千鳥足)」って

でもYouTubeのコメント欄を見ているとその一言にこの先の生きる希望を見出したりしている人もいて…

これぞカリスマ!と思わずにいられないんですよね〜

米津玄師の歌詞のどストレートな表現が刺さりまくる

米津玄師の歌詞の魅力は深いですね

普段使わないような古めかしい言葉選びだったりちょっとひねった表現をしたり

実際に純文学の引用があったり…

さよーならまたいつか!の「しぐるるやしぐるる…」も種田山頭火の引用、というかパロってるってのは有名ですね

歌詞の世界が一見小難しい印象なわけですね

でもねその中で突然超ストレート球を投げてくるんですよ!

急にスポ根!?急に熱烈ラブソング!?

みたいな笑

いろいろあるけど…

「あなたがいればそれでよかった」

「あなたとならいいよ」

「稲妻のように生きていたいだけ」

等などまだまだたくさんあるんだけどね

突然のどストレートな表現の歌詞が響きまくる…

これ感じている方も多いのではないだろうか

数ある米津玄師の魅力のひとつであります!

さよーならまたいつかの話をしたのでここ最近の私が刺さりまくってるフレーズを書いときます

人が宣う地獄の先にこそ わたしは春を見る

米津玄師「さよーならまたいつか!」より

くーーーーっ 今は確かにのたまわっている!!でも春を見るのだーー!!

あー エンダーのルートビア飲みたいな沖縄行きたいな

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